万博に理念はあるのか。

 

 

万博まであと1年

 あっという間に万博まであと1年となった。その間、先行して着工した大屋根リングやプロビューサーパビリオンなどの国内パビリオンは順調に建設が進む一方で、各国や団体が独自に建設するタイプAパビリオンの遅れはもはや誤魔化せないところまで来ており、既に「開幕に間に合わないパビリオンはこれまでの万博でも珍しくなかった」と、遅れを正当化する段階に入ったようだ。元々55団体がタイプAでの出展を検討していたが、現時点で2カ国が万博自体から撤退、7パビリオンがタイプAを断念し、残った区画のうち既に着工されているのは14施設に留まり、16パビリオンは未だに建設事業者すら決まっていない。

 

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結局、万博協会は全体的な準備計画の不備を海外パビリオン個別の問題へとすり替えることで対応するようだ。石毛事務総長は、取材に対してこう答えたそうだ。

 

「『工期があれば可能だが、もう現実を直視してください。現実的にやりましょう』と、昨年秋ごろから政府を通じて各国に働きかけた」

 

海外で設計されたパビリオンは日本の基準に合わせて必要であり、建設2024年問題により、この4月からは (実態はどうであれ)工期は伸び、人件費が膨れ上がる。また、ドバイ万博閉幕から2025年4月13日の開幕まで3年半しかなく、従来よりも各国の担当チームの準備時間に余裕が無い状態であった。

 

このような状況は、少なくとも4年前の5月、ドバイ万博の延期が決定した時には容易に想定できた。大屋根リングが工事動線に少なからず影響を与えることからも、本当に万博全体を成功させたいのなら、当然対処すべき問題であったはずである。

しかし、現実には国内パビリオンばかりが我先に建設事業者と契約し、海外パビリオンを建設するために必要な余力を削っていった。その結果が、上記の惨状である。

 

 確かに、現時点で未着工のパビリオンが存在することは普通であり、また開幕までに間に合わないパビリオンが出ない万博の方が稀である。しかし、それは他のほとんどのパビリオンが順調に完成している場合の話である。さらに、今回の万博会場特有の問題が4点ある。

 

一つは今回の海外パビリオンはリング内部の、25 ha程度の面積に押し込められている点。

二つ目は、大屋根リングからリング内を一望できる会場設計であるため、工事中のパビリオンはどこからでも視界に入り、景観を損ねる点。

三つ目は会場が自家用車の乗り入れを禁止し、コンテナヤードの機能を一部咲洲へと移転するなどの対策を取らなければ来客者の交通アクセスすらままならないほどの僻地である点。

最後に、どの万博でも起こる閉会前の駆け込み来場を抑制し、その需要を会期の前半へと分散させなければ、目標人数である2,820万人を達成できない点。

 

これらは全て、「開幕までにパビリオンが間に合わなくても問題ない論」にとって不利に働く。万博の来場者数は、通常開幕直後は伸びないが、徐々に来場者数が増し、最終週の週末にピークに達するのが通常のパターンであるが、これでは交通アクセスがパンクすると、他ならぬ万博協会が予想している。

大阪・関西万博 来場者輸送具体方針(アクションプラン)第3版

 

つまり、会期前半に来場者が集まらなかった場合、それを後半で取り返すことは今回の万博では困難である。今の万博協会は、日本独自の施設さえできればそれでよく、あとは例え間に合わなくても、それらは全て海外のパビリオンチームと建設会社に押し付けようとしているとしか思えない。こんな中で、メタンガスによる爆発事故が夢洲一区で起こってしまった。

 

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ずっと以前から夢洲のメタンガスについては懸念する声が挙がっていたが、それについては適切な対応をとるから大丈夫であると誤魔化してきた。そして、実際には、火災を想定せずに作業を行なっており、協会が施工業者を管理できておらず、適切な対応が取れていないことが浮き彫りになった。人的被害が出なかったのは、本当に幸運であったという言葉以外無い。

 

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 開幕まで一年を切り、中止の際の違約金も増額となるが、中止を決断することはないだろう。海外パビリオンも含めて、参加者の希望にできる限り応えるのが主催者たる万博協会の勤めであると思うが、万博協会は所詮万博が終われば解散する出向者の集まりであり、そこに崇高な理念も意思もないのは仕方がないと感じる。

 

名目上、万博には毎回テーマが設定されている。その上位概念に基本理念があり、下位概念としてサブテーマやコンセプトが存在する。

 

この理念や大屋根リング、あるいはテーマやコンセプトは、誘致を開始した段階から制定された、守るべきものなのだろうか。結論から言うと、そんなことは全くなく、計画の進行する中で、変遷を遂げた結果が、元から残っている理念などほとんど存在しない。

 

今回は、2016年に大阪府で作られた基本構想と、2020年7月にBIEへと提出された登録申請書、そしてその5ヶ月後、2020年12月に万博協会から示された基本計画をそれぞれ見て、どのようにこれらの理念やテーマ、会場想定が変遷していったのかを確認する。

 

 

テーマ、サブテーマ、コンセプトの変遷

下の図は、大阪府で作られた基本構想と、その4年後にBIEに正式に提出された登録申請書における、テーマ、サブテーマ、コンセプトの比較である。

 

テーマ、サブテーマ、コンセプトの変遷

 

テーマ

ご存知の通り、大阪府案は医療と健康というある程度絞られたものであったが、2017年に国で検討した結果、非常に抽象的な「いのち輝く未来社会のデザイン」に変更された。このテーマの意味を、登録申請書では次のように説明している。

 

日本国政府は、誘致段階において BIE 加盟国に対し『いのち輝く未来社会のデザイン』をテーマとして提示し、多くの国々の支持を得ることができた。

(中略)

かつてないスピードで私たちを取り巻く環境が変化する中で、我々は「幸福とは何か」、「自らのポテンシャルを最大限に発揮するためにはどうするべきか」、「それを支える社会はどうあるべきか」という深遠な問いを投げかけられている。『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマは、人間一人一人が、自らの望む生き方を考え、それぞれの可能性を最大限に発揮できるようにするとともに、こうした生き方を支える持続可能な社会を、国際社会が共創していくことを推し進めるものである。言い換えれば、大阪・関西万博は、格差や対立の拡大といった新たな社会課題や、AI やバイオテクノロジー等の科学技術の発展、その結果としての長寿命化といった変化に直面する中で、一人一人に対し、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博になる。近年、人々の価値観や生き方がますます多様化するとともに、技術革新によって誰もがこれまで想像しえなかった量の情報にアクセスし、やりとりを行うことが可能となった。このような進展は、大阪・関西万博が世界の叡智とベストプラクティスを大阪・関西地域に集約するのに役立ち、多様な価値観が複雑に絡み合った諸課題への解決策をもたらすはずである。

(強調は筆者)

 

 

 

今回の万博は、「変化に直面する中で、一人一人に対し、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博」になるらしい。入場者ではなく、人間一人一人に問うことがテーマであるということは、悪くいえば万博に意義が感じられないのは、受け取り手の問題へと還元されてしまう。運営側がどんなに理解に苦しむ行動をしても、それら全てが問いだと言われたら、責任は問われた側へと移動していると主張することもできるだろう。いずれにしても、「いのち輝く未来社会のデザイン」という言葉から全く想像できない、余りにも大きく、広い事物を内包させようとしているのである。

 

因みに、「いのち輝く未来社会のデザイン」にテーマが決定したのは2017年3月であり、BIEに正式に申請書が受理されたのは2020年7月である。この間には、周知の通りcovid-19によるパンデミックがあった。申請書にはしっかりとこのパンデミックも「内包」されている。

 

世界の隅々までを変化させ、地球上のすべての人が「いのち」について考えることとなった COVID-19をきっかけに、大阪・関西万博の在り方も「ニュー・ノーマル」への対応を考えていくこととなるだろう。世界的な感染症のような未曽有の事態が起こった時でも、万博としてのメッセージを伝え、世界中の人々に参加を促すために、我々が準備しておくべきことは何か。例えば、オンラインを活用した、時間的、空間的制約を乗り越えたコミュニケーションの在り方はこれを考えるヒントとなる 。開催者は今後、このような新たな万博の在り方についても検討を進めていく。

 

サブテーマ

メインテーマも抽象的だが、サブテーマについてはさらに抽象度が上がる。ただでさえ3つもある上に、具体例を見ると、余りにこじつけが過ぎるのでは?と思わざるを得ないものも多い。例えば、「いのちを救う」の具体例として「自然との共生」、「いのちをつなぐ」の具体例として、「データ社会の在り方」が挙げられている。

 

このように、結局はどのようなものであっても内包できるように、万博のテーマは作られている。どんなものでも内包できるということは、言い換えればどんなものも中心になり得ないのである。

 

コンセプト

既に飽和しているテーマとサブテーマに重ねて、コンセプトとして、「未来社会の実験場」が挙げられている。

 

大阪・関西万博におけるコンセプトは、「People's Living Lab(未来社会の実験場)」である。このコンセプトは以下の一連の活動を通じて実現される。 大阪・関西万博では、会場を新たな技術やシステムを実証する、「未来社会の実験場」と位置づけ、多様なプレーヤーによるイノベーションを誘発し、それらを社会実装していくための、Society 5 . 0 実現型会場を目指す。 例えば、人の流れをAI等の技術でコントロールすることによる、会場内での快適な過ごし方の実現や、 キャッシュレス、生体認証システム、世界中の人と会話できる多言語システムの実装等が想定される。 また、このコンセプトを実現するために重要になるのが、Co-Creation(共創)である。ここでの共創とは、 多様な参加者と共に大阪・関西万博を創りあげることを意味する。 大阪・関西万博では、会期前から大阪・ 関西万博に関わるネットワークを広げていくことを通じて、会場内外からこの壮大な実験に参加して未来社会のデザインを共創することを目指す。

 

また、こちらは余り知られていないかもしれないが、SDGs+beyondの達成に向けて万博がその飛躍の機会となることが期待されているらしい。

 

日本は、大阪・関西万博を「SDGs+beyond」達成への飛躍の機会に位置付ける。『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマの下で行われる一連の活動は、「誰一人取り残さない」という誓いに裏打ちされた持続可能な方法で、多様性と包摂性のある社会を実現することを究極の目的とする、国連の SDGsと合致するものである。

(中略)

同時に、大阪・関西万博においては、中長期的な視野を持って未来社会を考える際、2030 年のSDGs達成にとどまらず、+beyond(2030年より先)に向けた目標が示されることも期待される。 開催者(第1章1.1. 1参照)は、パビリオン展示にとどまらず、SDGs+beyond に向けた取組について世界各国の有識者や来場者などが議論を行う場を設け、その成果を、例えば「Expo 2025 Osaka Kansai Agenda」(仮称)として取りまとめた上で、世界に発信していく

 

 

 

SDGsすら現実離れした目標であるという批判があるのに、その達成を前提としてさらにその先まで語られたら、どんな夢物語でも正当化されてしまうだろう。

 

会場・費用・来場者

会場・費用・来場者数の変遷

会場

 当初の大阪案では夢洲2区のみで完結するはずだった会場が、夢洲1区まで拡張された。単純に100 haでは足りなかったのか、それとも来場者数を算出するときに、会場面積が100 haでは望みの数字が出なかったのか (来場者数は、会場面積、日数、来場者数、開催地人口など変数に、過去の博覧会の実績から回帰分析により求められるそうだ)。

個人的には、会場面積に既に存在するメガソーラーが含まれていることから、会場面積の数字を大きくしたい意図が感じ取れることから、後者では無いかと推測するが、本当のところは分からない。いずれにしても、本来は使えないはずの夢洲1区へと安易に会場を拡大したことが、今回の爆発事故へと繋がったのである。最初の計画が杜撰さを如実に表していると言える。

 

こうして無理やり拡張された会場の夢洲とそのデザインについては、こう述べられている。

 

大阪・関西万博の会場は、夢洲である。夢洲は、大阪市内の臨海部に位置する人工島であり、来場者は 瀬戸内海の美しい景観に接することができる。会場は「非中心」「離散」をキーコンセプトとして未来社会を反映している。ランダムに配置されたパビリオンが世界中に広がる個々の人々を表し、会場を世界中の 80 億人皆で共創していく未来社会と見立てている。開催者は、未来社会をデザインする万博として、バーチャル技術を会場内外で展開する。 具体的には、① 夢洲の会場内で行う最新のバーチャル技術を活用した様々な展示や催事(会場内)、②ウェブサイトやその 他の技術を活用し、様々な理由で実際に来場することができない世界中の人々が大阪・関西万博に参加できる仕組み(会場外・オンライン)といった二つの軸で、未来社会を想起させる展示やアイデア展開の手法を検討する

 

夢洲の問題点には触れず、よくもまあ美辞麗句を並べたものである。ところが、この会場デザインは、その後すぐに変更された。新しいコンセプトである「多様でありながら、ひとつ」は、誘致時の「非中心・離散」の理念を引き継いでいるそうだ。筆者には巨大な大屋根リングは「非中心・離散」の対極に位置するように思えるが、プロデューサーには違った感性や理念があるのかもしれない。

いずれにしても、会場のキーコンセプトすら登録申請の段階からあっさりと翻せるものであり、万博に高尚な理念を見出す方が困難な行為であると感じる。

大阪案(左)とBIEに提出した会場案 (右)



 

なお、BIEに申請した会場図は、パビリオンワールド、グリーンワールド、ウォーターワールドの3区画に分ける予定であったが、2022年に突如リングの内側を「ウォーターフロント」、リングの外側を「つながりの海」に名称変更した。その理由が、建設残土の受け入れのため、元々のウォーターワールドの一部をその処分場にした為である。現在はこの場所に海はカケラも見えないが、今後水を内側に引いてみかけの水辺を作り出すようだ。建設残土に面する見せかけの水辺の名称が「つながりの海」とは、なんとも皮肉な名称である。

 

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因みに、この人々が立ち入れない水辺 (約47 ha)も会場面積に含まれている。大屋根リングが迫り出している部分を除いても、メガソーラーとこの水辺で約60 ha会場面積を嵩上げしている。

 

費用

 当初の大阪案では、会場建設費と運営費を合わせて、約2,000億円の費用を見込んでおり、その金額を申請書の中でもほぼ引き継ぎ、2,100億円としていた。ところが、2020年12月に突如建設費が約1.5倍になった。その増額分の内訳は以下の通りである。

 

大屋根はパビリオンエリアのメインストリートとなる。一部が水上にせり出す設計で、移動時の雨よけや日よけの機能も担う。協会はこれまで大屋根の整備費用について「増額分600億円のうち約170億円を占める」と説明していた。増額費用の詳細も同日、大阪市議会の万博推進特別委員会で一部明らかになった。市担当者の説明によると、600億円のうち「来場者の快適性・安全性・利便性の向上のための施設」が約320億円を占める。内訳は暑さ対策のドライミストとトイレの整備に30億円、入場ゲート屋根に30億円、照明設備に13億円などとしている。また、「参加国、事業者の多様な参加を促進するための施設」(110億円)のうち、レストランや物販施設の整備に71億円の増額を見込んでいる。

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大屋根の仕様変更による増額も酷いが、より問題なのが暑さ対策やレストラン・物販施設といった、当然想定されるべき支出の増額があまりにも多く、最初の計画が最早計画になっていなかったことを示している。

このような事業では、最初はできるだけ費用を小さく見せ、いざその金額でできないことが明白になったら、今度は「経済効果」を強調して目をくらませるのがお決まりで、同じ手を何度も使う方にも引っかかる方にも呆れてしまう。

経済効果の問題点は以前大阪IRの時に散々指摘したが、経済効果は動いたカネの大きさに連動するので、費用が増えればそれだけ大きく経済効果が弾き出されるが、このよう一過性のイベントに対する費用は、単なる支出対象の移転に過ぎず、実質的な経済効果は極めて限定的である。万博に限らず、(少なくとも産業連関表を用いた)経済効果の算出は無意味どころか、数字を恣意的に用いる者に悪用されるだけなのが現状なので、国や自治体の事業書類からこの有害な数字が一刻も早く消えることを願ってやまない。

 

来場者数

 当初の大阪案では、国内3,000万人+海外という大風呂敷を掲げていたが、申請書の段階で国内2,470万人+海外350万人の合計2,820万人に縮小した。前述の通り、この数字は回帰分析によって過去のデータより求められているそうだが、この数字の算出に使われた過去の博覧会は1970~2005年に開催されたものであり、データが古いという懸念点がある。そして、この時点では夢洲のアクセス問題は全く考慮されていない。

 

具体的な検討が進むと、すぐに夢洲では会期最終盤に爆増する来客を捌ききれないことが明らかとなる (大阪・関西万博 来場者輸送具体方針、初版2022年10月)。

 

愛・地球博では会期終了1週間前の日曜日である9月18日に最大日来場者28.1万人を記録した。これは、総来場者数の1.27%を占め、平均来場者数の2.3倍である。

 

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愛・地球博は想定来場者1,500万人を大幅に上回る2,200万人の来場を記録し、少なくとも来場者数という点では大成功であった。同じように、想定を超えた来場者を夢洲でも記録できるだろうか。答えはもちろんNOである。

 

愛・地球博では、原則として近隣の民間駐車場には期間中の営業自粛を促していた。しかし、蓋を開ければ、この運営が想定していない民間駐車場は大きな役割を演じ、最大日来場者28.1万人の内、公式が想定するしないその他の手段 (民間駐車場、徒歩、二輪、タクシー)で来場した人数は、約28%の8万人に上った。

 

一方で、今回の万博では自家用車の乗り入れはできず、舞洲などの指定の駐車場に停めてシャトルバスを使用する必要がある。そして、そのような対策を行なっても、1日の来場者が20万人を超えると車によるアクセスはパンクすると考えられている。そこで、チケットの種類を増やし、通期パスの入場時間と入場期間に制限をかけることで、最大日来場者を22.7万人に抑えることができるそうだ。

 

これが成功するならば、まさに人の流れをコントロールする「未来社会の実験場」と言えるが、そう上手くいくのだろうか。現在、前売り券の94.8%は利用制限の無い超早割一日券であり、開幕券や前期券の占める割合は合計4.5%に留まっている。筆者はチケット販売前に、前売りの枚数をコントロールして調整するものと思っていたが、今のところそのような調整は見えてこない。

期間限定のイベントの最終盤が混み合うことは人間心理の必然であると言える。実際に行った人のクチコミを聞いていくかどうかを決める人も少なく無いだろう。それをどうコントロールするのか、実は密かに期待しているのだが、そんなウルトラCは出てくるのだろうか。

 

なお、現在前売り券は目標の10%も売れていないが、これは当然であると思われる。個人にとって、今前売り券を買わなければならない合理的な理由は何も存在しない。何故なら、まだどのパビリオンが予約制でどのパビリオンがいつでも入れるのか全く分からない上に、来場日時の時間枠は未だに調整中で、前売り開始当時は駅からのシャトルバスの運賃も決まっていなかった (3月に350円に決定)。万博のチケットは原則として返金できないので、今買うにしても何枚買えばいいのか皆目検討がつかない上、通期パスは11時からという時間制限がついており、一度に予約できるパビリオンの数に制限あるなど、現段階で買うにはリスクが大きすぎる。

パビリオンを先行予約できる超早割一日券を買うにしても、9月に入って買えば十分である。これまでの主な購入元は、昨年度の予算でチケットを消化したい企業や自治体であると思われる (ところで、チケットの販売状況には団体割引券の枚数が表示されていないが、これはいつ公表されるのだろうか)。

企業購入分はこれから本格化するだろうし、一般購入分も、詳細が決まってくればもう少しは伸びる。故に、今チケットが売れていない状況は、協会としても想定内だろう。

 

ただ、来場の時間帯や、(大阪メトロを使わない場合)行き帰りのシャトルバス、パビリオンと、何から何まで予約が必要な今回の万博であるが、これで本当に混雑を緩和できるのか、また、混雑は緩和できたとしても、来場目標と両立するかは、甚だ疑問である。この20年間の万博は、どこも半年間で2,000万人以上の来場者を集めているが、それはある意味万博がテーマパークなどに比べて洗練されていないからである。普通のテーマパークは、各アトラクションの種類や配置を考え、待ち時間を計算し、パーク全体でお客さんに満足感を与えているが、万博では個々のパビリオンの展示内容に対して主催者はノータッチで、内容が似たようなものになったり、人気パビリオンに人が集中したりと、会場全体としてのクオリティーは高めようがない。洗練されていないからこそ、無駄が多く、混雑があらゆる場所で発生するので、時間が取られて一日では見切れず、期間が限らているので仕方なく何度も足を運ぶことになる。

万博において混雑と来場者数はトレードオフの関係であるが、今回は混雑を緩和した上で来場者を確保するという、万博史上初めての命題を解決しなくてはならない。だから、今回の万博は「例年通り」の進行ではダメなのだが、それを理解できているのだろうか。

 

 

終わりに

 結局、万博のテーマやサブテーマはどうとでも取れる曖昧なものであり、会場などのコンセプトもBIEへの正式な申請後にプロデューサーの意向で簡単に変更でき、そこに定まった理念などない。各パビリオンの関係者や会場のプロデューサーには、個々に崇高な理念があるかもしれないが、それらが「国家プロジェクト」の理念にはなり得ない。そもそもの計画が杜撰であるため、費用を予算内に収めるつもり無く、費用増を当然のこととする。

万博の誘致決定から今日まで、万博のためという名目で巨額のカネが動き、それが肯定される。開催地はその恩恵を最も受けるが、10兆円近い万博関係予算はあちこちの省庁や自治体に流れ、関わる人の数も膨大である。空虚で巨大な万博は、誘致のプロセスからしてどこまでも政治的なイベントである。2度とこのような愚行を繰り返さないため、我々は万博についてよく知らないといけないのである。